日本の隅っこの歴史

某所で郷土史をやっていた方が集めた膨大な資料(主に紙)をデジタル化する作業のため、紐解いた内容に少々個人的な感想を交えて書いていく、覚書的な性質の濃いブログです。 手当たり次第に作業していくため、場所や時系列などはバラバラです。ある程度溜まったら整理してまとめようと思っています。

大乙貴神社

あ、暑いですね…

パソコン部屋にエアコンがないので作業が厳しくなってきました

あれこれ調べながらブログ書いていてると、私よりパソコンが先に音を上げるんですよね💧今はまだ、内蔵データ飛ばされたくないので、労らないと。もっと要領よくやれればいいんですけどね。

まだまだ暑い日が続きますが、皆様も熱中症等ご注意ください。

 

 今日は、大乙貴(おおなむち)神社についてです。

 朝倉郡筑前町弥永にある大乙貴神社の御祭神は、天照大御神大国主命、春日大明神です。日本書記に、次のような一文があります。

 

『一書に曰く、大国主神は、またの名を大物主神、また国造りの大乙貴神と号し、また八千戈神といい、また大国玉神といい、また顕国玉神という。』

 

日本書記の時点で既に『一書に曰く』なのですが、この説でいえば、大乙貴命と大国主の命、大物主の命は同じ神様になります。大乙貴命と大国主の命が同一人物なのは揺るぎないようですが、大物主命と大国主は別だとみられる表記もあります。ここについては、またあとで触れます。

 大国主命は、少彦名命(すくなひこ)という神様と一緒に、大芦原中国(とよあしはらなかつくに)あるいは豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)と呼ばれる日本国を作った神様です。お二方は、医療や農耕、まじないなど、生活に必要なあれこれを定め、人々に教えたそうです。

 日本書記ベースでいきますと、ある日、大国主命少彦名命に、

「俺たちの国、よくできてると思う?」

と聞きます。少彦名命は、

「できてるところもあるし、できてないところもあるな」

と答えます。それから、熊野の御崎に行き、

「じゃ、常世の国に行くよ」

と、去ってしまいます。常世(とこよ)というのは、現世(うつしよ)の対義語なので、この世じゃない国、あの世とか神の国とかのことです。

 少彦名命が、最初から期間限定のお手伝いだったのか、急に次の役目ができたのかは分かりませんが、帰国前にこんな会話をしているところをみると、仲良さそうです。良いバディとして建国の仕事をしていたんじゃないかと私には思えます。

 それから大国主命がひとりで国造りの仕事を続けていると、海から神様が一人やってきます。そして

「私は君の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)だ。丁重に私を祀れば国造りに力を貸そう」

と言います。これが、大物主命で、大和の国の東、三輪山に祀られました。これが三輪山自体を御神体とした大神神社(おおみわじんしゃ)です。

 幸魂奇魂とは何かというと、神道において、神の魂は荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)というふたつの側面があり、荒魂は文字通り荒々しい部分、和魂は優しくおだやかな部分。和魂はさらにふたつに別れて、それが幸魂と奇魂。幸魂は、運によって人に幸いをもたらし、奇魂は奇跡によって人に直接幸いをもたらすそうです。つまり、「私は君の幸魂奇魂だ」と言ったということは、大物主は大国主、あるいは大国主の一部と解釈できますが、神社などでは別個の神様として祀られています。ヒンドゥー教の神様のパールヴァーティーとカーリーみたいな感じでしょうか?例えが分かりづらいですね💧

 

 さて、神宮皇后は羽白熊鷲を討った後、香椎宮に戻っていよいよ朝鮮出兵に乗り出します。そこで、兵を補充するため諸国に令を発しますが、なかなか集まらない。そこで、大神神社を造り、刀と矛を捧げたところ、兵がおのずと集まった。というのが、大乙貴神社の由緒です。この神社は、927年に完成したとされる延喜式の神明帳(祈年祭に幣帛を受ける神社を記したもの)に『於保奈牟智神社』として名があるそうで、その頃は既に格式の高い神社とされていたのがわかります。地元の方からは、「おんがさま」と呼ばれているのだそうで、これは『大神神社』を「おおがみさま」と呼んでいたのがなまったものなのだそうです。

 で、延喜式筑前町の大乙貴神社が『於保奈牟智神社』と古名で書かれており、奈良の大神神社はすでに『大神神社』と書かれているので、「うち(大乙貴神社)が日本最古の神社だ!」と主張する声もあるんだそうです。そこへ大和東遷説をくっつけて、さらに飛躍させると『邪馬台国朝倉説』になります。なんでも、朝倉の地名と奈良の地名の配置がとても似ているんだとか。

 資料に入っていた図を載せようとしたんですが、同じ図が大乙貴神社のHPにあって、こちらの方が綺麗なので拝借します。

こんな感じです

 ややこしくて真偽不明な話の詳細は面倒なので省きます。逆に大和に似せて朝倉の地名が名付けられるってこともありそうですよね?神功皇后に由来する地名がこれだけ多いんですから、軍を進めるにあたって不案内な土地に大和の地名を対応させて軍議をした、なんて話が隠れていてもおかしくないのでは?

 

 奈良の大神神社の御祭神は、大物主神、大乙貴神、少彦名神。国造りの神様を三柱ともに祀ってあります。

 筑前町の大乙貴神社の御祭神は、天照大御神大国主命、春日大明神。春日大明神は、雷神の武甕槌命(たけみかづちのみこと)、水神の経津主命(ふつぬしのみこと)がいらっしゃいますから、これから海に出ようという皇后の決意が窺える気がします。

 

 土蜘蛛の田油津媛だとか、宇美八幡宮だとか、神功皇后については他にもいろいろありますが、今の所手元資料で書けるのはこのくらいなので、今は書きません。師匠(と呼ばせていただきましょう)宅の資料山のどこかに面白い物があると思うので、私の浅はかな知識で書くよりも、それらにお目にかかる日を楽しみにしておくことにします。

 

でははまた!

 

大乙貴神社:福岡県朝倉郡筑前町弥永697-3

大神神社奈良県桜井市三輪1422

 

◆参考資料

 朝倉市教育委員会のパンフレット

 三輪町史   (福岡県¥甘木・朝倉¥み¥みわ¥三輪町史)    

 夜須町の民話解説   (福岡県¥甘木・朝倉¥や¥やす¥夜須町の民話解説)

 日本書記

 

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