日本の隅っこの歴史

某所で郷土史をやっていた方が集めた膨大な資料(主に紙)をデジタル化する作業のため、紐解いた内容に少々個人的な感想を交えて書いていく、覚書的な性質の濃いブログです。 手当たり次第に作業していくため、場所や時系列などはバラバラです。ある程度溜まったら整理してまとめようと思っています。

2024-01-01から1年間の記事一覧

モンゴルが日本に攻めてきた話 文永の役

1274年。高麗王の元宗が崩御し、新たにフビライの女婿である忠烈王が即位したのは、前回書いた通りです。その年、フビライは洪茶丘(ホン・タグ)に命じて、軍船300艘を建造させました。 私が見た全ての資料の中で、はっきり「戦艦300艘建造させた」と書いて…

モンゴルが日本に攻めてくる話 その3

前回は、フビライとアリクブケのカン位争奪戦争で、1264年にフビライが勝利したところまでをおさらいしました。今回からいよいよフビライ・ハンの登場ですが(クビライ・カアンが元の発音に近いらしいですね。まあいいいや)前回の最後に書いた状況(モンゴ…

モンゴルが日本に攻めてくる話 その2

ではでは、前回の続きから オゴタイ崩御の知らせを聞いた時、バトゥはハンガリーを陥落させた直後で、当地の支配は確立していませんでした。なので、カルパチア山脈以西を一旦放棄し、急ぎカラコルムへ戻ります。しかし、この遠征中にトゥルイ家のモンケとは…

モンゴルが日本に攻めてくる話 その1

前回おさらいした梶原景時の変で原田種雄が秋月荘を拝領し、古処山に城を築いたのが1203年(建仁3年)です。古処山城については、過去にどこかで詳しく書いたつもりでいたんですが、今探しても見つけられないので、ちょっと書いておきます。 古処山は、福岡…

乱?変? 梶原景時

予告通り今回は梶原景時の変です。『変』が正しいのか『乱』がいいのかわかりませんけど、個人的には『乱』にはなってないんじゃないかと思いました。 大河ドラマなんかをご覧になっている方は、よくご存知ではないかと思います。『鎌倉殿の13人』なんかはこ…

治承寿永の乱 後半

木曽義仲が宇治川の戦いに敗れたことで一息つけた後白河上皇は、安徳天皇復権の芽を摘むために、後鳥羽天皇の即位の大礼を行おうとします。が、大礼に必要な三種の神器は、安徳天皇と一緒に平氏に持ち出されていました。 1184年(寿永3年)1月26日。後白河上…

鹿ヶ谷の陰謀 ~ 治承・寿永の乱前半

さて、平治の乱から15年くらい経った1176年(安元2年)、夏ごろから急に宮中は不幸が続きます。後白河上皇の妻、建春門院。二条天皇の中宮、高松院。後白河上皇の孫、六条上皇。近衛天皇の中宮、九条院。と、相次いで亡くなってしまいます。 この時の天皇は…

保元の乱と平治の乱 おさらい

筑前秋月家 その2でちらっと書いた、源平合戦こと治承寿永の乱をおさらいしようとしたんですが、なにしろ知識が中学レベルの素人なもので、ここからおさらいしないと理解できませんでした。 なので、保元の乱からはじめます。 承平天慶の乱で、平将門と対立…

刀伊の入寇 おさらい

今回は、刀伊の入寇をおさらいします。 これって意外にタイムリーなお話なんですね。私、大河ドラマは見ないのですが、そういえば同じ時期のお話ですね。 さて、参ります。 「刀伊」とは、高麗の人々が彼らを指して呼んでいた「トイ」という音に漢字をあてた…

承平天慶の乱 おさらい

前回まで、秋月家に関する歴史を4回にわたってやって来ました。その中で節目となった出来事とその背景を、今回からいくつかおさらいしようと思います。 まずは、秋月家のご先祖、大蔵春実が秋月にやってくるきっかけとなった、承平天慶の乱(じょうへいてん…

筑前秋月家 その4

あっついですねえ。 さっき、家族と話してたんですが、一日中エアコンの効いた部屋の中にいると体が動かなくなる気がします。だけど、この猛暑の中エアコンのない所にいても何もできませんよね。屋外やエアコンなしの屋内でお仕事なさっている方には、社会の…

筑前秋月家 その3

どうにも区切りが悪いのですが、前回筑後川の戦いまで書いてたので、その後をちょろっと書いておきます。 筑後川の戦い以来、九州で菊池氏をはじめとする一勢力を保持していた懐良親王は、1351年に大宰府を攻略。以後、大宰府を征西府とします。観応の擾乱・…

筑前秋月家 その2

ええと、まだ平安時代終わっていませんでした。それから今後の進め方としては、前回分も含めて秋月氏の歴史をさっくり辿った後で、背景となる事件をひとつずつおさらいすることにします。それでは前回の続きから。 書籍によって家系図が微妙に違うのですが、…

筑前秋月家 その1

今回からしばらく、田代将門著『舊志に據れる筑前秋月家の研究』という本を読んでいきます。書きながら、この本のタイトルがブログでちゃんと表示されるのか危ぶんでいるんですが、旧漢字なんですよ。書いたはいいけど私自身、ちゃんと読めなくて調べました…

気づいたこと

神功皇后についていろいろと書いてきましたが、当然、資料にあってもここに書けていないことも沢山あります。一番ブログの参考にすることが多かった河村哲夫先生の『西日本古代紀行』などは、神功皇后が香椎宮から松峡宮に移動された時の道行き、それから、…

大乙貴神社

あ、暑いですね… パソコン部屋にエアコンがないので作業が厳しくなってきました あれこれ調べながらブログ書いていてると、私よりパソコンが先に音を上げるんですよね今はまだ、内蔵データ飛ばされたくないので、労らないと。もっと要領よくやれればいいんで…

荷持田村と層増岐野

前回の記事で、日本書記に「荷持田村(のとりたのふれ)に羽白熊鷲あり」とあると書きましたが、その荷持田村について書くのを忘れていました。 羽白熊鷲の勢力範囲が脊振山系から朝倉郡にかけてだということなので、荷持田村は羽白熊鷲個人の居住地でしょう…

羽白熊鷲と橿日宮と松峡宮

7月になりましたね。全国のあちこちで大雨が降っていますが、皆様の所は大丈夫でしょうか?皆様が恙なくお過ごしになりますよう祈っております。 予告通り、羽白熊鷲(はしろくまわし)について書いて行こうと思います。 日本書記では、荷持田村(のとりたの…

熊襲

熊襲、熊鷲、土蜘蛛。これらは、九州にあった大和朝廷とは別個の勢力のことです。熊襲と羽白熊鷲は、おのおの独立した特定の勢力を指すようですが、土蜘蛛は九州に色々いる土着勢力の総称の事のようです。昔は東国と呼ばれていた、関東以北の勢力を蝦夷と呼…

神功皇后伝承おさらい

字だらけの記事が続きますが、先にこれをやっといた方が後が書きやすいので、福岡の古代史語りに欠かせない、神功皇后のおさらいをしておこうと思います。 神功皇后は、実在の人物ではないとか、何人かのエピソードを纏めて一人の人物として語られたものだと…

斉明天皇の朝鮮出兵に至る歴史おさらい

斉明天皇と中大兄皇子の朝鮮出兵に関する記事が続きましたので、ちょっとこの辺の歴史をおさらいしたいと思います。 高校の日本史の教科書を読んでみましたけど…………うん。わからん。 なので、私が納得できるようにあれこれ調べて書いていきます。 西暦300年…

宮地嶽神社と宮野神社

宮地嶽神社は全国にありますが、福岡県福津市にある神社が有名ですね。年2回見える海まで続く光の道は、所謂映え写真のスポットです。ここの神社が、全国各地にある宮地嶽神社の総本社なんだそうです。 ただ、今回はここの宮地嶽神社ではなく、朝倉市宮野の…

綾鼓

昨日は橘広庭宮からあれこれ書きました。今日もその辺のお話です。 斉明天皇が661年の旧暦で5月9日に崩御されたので、実子でもある中大兄皇子は殯(もがり)しないといけなくなりました。 殯っていうのは古代のお葬式で、故人の遺体を火葬したり埋葬したりせ…

朝倉橘広庭宮

はじめまして。初回なのですが、経緯はプロフィールに書きましたのでご挨拶抜きでいきなり書き出します。 本当に手当たり次第なうえ、まだこのブログに慣れていませんので、色々とご容赦くださいませ。 さて、御存知の方も沢山いらっしゃるでしょうが、福岡…